誰かの背景で、自分の主役。 ——栞のノートより
あらすじ
灰色の街に、色が戻るまで
姉が遺したのは、アニメと小説の感想を書いたノート一冊だった。
篠崎湊、二十三歳。社会人一年目の職場では、加点が数えられることはない。ミスだけが記録され、何も起こらなかった日が最良の日とされる。定時を過ぎて会社を出て、同じ電車に乗り、同じ道を歩いて帰る。通勤路にどんな木が植わっているのかを、湊は一度も考えたことがなかった。
三つ上の姉・栞が事故で亡くなって、数ヶ月が経っていた。生前の栞は、観たアニメの話を食卓で熱心に語る人だった。湊はいつも「で、それが何の役に立つの」と返していた。姉の部屋から出てきたのが、そのノートだった。観た作品の記録と、そこで手に入れた言葉を使って現実を眺めた日記が、交互に綴られている。
湊は、ノートが指定した作品を一つずつ観はじめる。理由は単純だった。姉と同じものを見れば、姉が見ていた景色に届くかもしれない。やがて、観終えた翌朝の通勤路が、前の日と同じには見えなくなっていく。
物語に費やしてきた時間は、現実からの逃避だったのか。それとも、現実をより深く愛するための準備だったのか。
登場人物
言葉を遺した人と、借りた人
篠崎 湊
社会人一年目
姉の話を「で、それが何の役に立つの」と切り捨てていた弟。ノートを追ううちに、見えるものの数が増えていく。
篠崎 栞
湊の姉
観た作品の記録と、そこで得た言葉で日常を眺めた日記を、一冊のノートに残した人。もう、この世界にいない。
灯
栞の親友
栞と同い年。湊にとっては、姉のことを知っている数少ない相手。まだ、訊けていないことがある。
マスター
喫茶「サナトリウム」店主
寡黙で、注文以外はほとんど喋らない。カウンターの端に活けた一輪の花が、季節ごとに変わる。